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深夜、寝苦しくて起きた精市は階段を下りて下の階へと向かう。
台所に行って水を飲もうと思いながら、着ていたTシャツの胸元に風を入れるように扇ぐ。
そこでふと、気づいた。
リビングの方から微かな物音が聞こえてくる。
誰かの話し声…?
気づかれないように足を忍ばせて、物音が聞こえてくるリビングへと近寄った。
ドアが開いていて、光が少し漏れている。
そこから中を覗くようにして立ち止まる。
中には、母さんと父さんがいた。
夜中に声を潜ませて話している事に不思議に思ったが、特に気にも留めなかった。
早く乾いた喉を潤したくて、踵を返したとき、会話の一部が耳へと届く。
「私がを引き取ります」
「…じゃ、俺が精市を引き取ろう」
足が鉛のように重く、その場から動かなくなった。
それでも父母の会話が止まることは無かった。
どういう、事だ……?
じっとり、と嫌な汗が出るのを感じる。
頭で何回も問いかけるが、その答えは既に出ていた。
両親が離婚する
精市は丁度その会話を聞いてしまったのだ。
それから、どのようにして部屋に戻ったかは覚えていない。
コップを持つ片手が震える。
動悸がして眩暈がしそうだった。
「はぁ…っ…はぁっ…」
幸せな家庭だと思っていた。
両親の仲も良くて、兄弟の仲も良くて、ずっと続くと思っていた日常。
それがもうすぐ崩れようとしている。
先ほどの会話は恐らく離婚後、どちらが俺たちを引き取るかという話だったんだろう。
両親が離れ離れになる。
それは妹のとも別れる事を意味している。
「嫌だ……っ…嫌だ…!」
と離れる事が何よりも恐かった。
落ち着かせようと手に持っていた水を一気に飲み干すとテーブルの上にコップを置く。
「……っ」
隣の部屋で寝ているを思うと辛い。
この事実を知って一番傷付くのはだ。
自分でもこんなにショックを受けているのに、もし妹のがこの事を知ったら……。
「知られたら、いけない……」
この事は絶対にには知られてはいけないんだ。
優しいの事だから、原因を自分の事だと責めるかも知れない。に非は無いのに。
そんな事、あってはならないんだ。
じゃあ、どうしたら良い?
を苦しめるのを避けるにはどうしたら……。
その原因を
絶 ち き れ ば 良 い ん だ
「どうしてこんな事になっちゃったんだろうね……」
「……」
墓の前でお参りする男女。
精市とが花を生け、両手を合わせていた。
「お母さんとお父さんが亡くなって、私達2人だけになっちゃったよ…」
「そう、だね……」
「お兄ちゃんは居なくならないでね?」
墓標から精市へと視線を移し、は切なそうに精市を見つめた。
その視線を見つめ返し力強く頷く。
「ああ、を一人にはしないよ」
「うん……」
安心させるようにの手を力強く握り締めた。
数週間前、両親が亡くなった。
刃物で八つ裂きにされた両親を精市が見つけ警察に通報。
夜中、何者かが忍び込み両親を殺害。
2階で寝ていた精市とには幸運にも被害が無かった。
まだ幼い2人が残された、という事もあり周りは同情の目で2人を見た。
しかし、それは表向きの話
真実は……
ガチャッ……
「「!!」」
物音に顔を反射的に振り向かせた両親。
行き成り開いた扉の先に、精市の姿を見て2人は顔を見合わせた。
「どうしたんだ、精市」
「寝付けないの?」
妙に優しく語り掛けてくる2人。
それでも、精市は俯いたまま何も話さなかった。
流石に不審に思った母は精市に近づく。
「精市…?どうし………う゛ぐっ…!!」
どすっと鈍い音がリビングに響く。
暫くして母は地に伏した。
それを見て驚いた父は慌てて母親へと駆け寄る。
「おいっ!しっかりし………う゛ぅっ…!!」
背中に何かが刺さった感覚がしたと思った時には既に倒れ込んでいる。
母の上に折り重なるように倒れる間際、父は息子を見上げた。
目が合ったとき、精市は口の端を吊り上げて言った。
「俺からを離そうとするからだよ」
「、安心して。俺はずっとの傍にいるから」
「ありがとう、お兄ちゃん」
お互いに顔を見合わせ微笑みあった。
繋いでいた手をどちらからととも無く放すと、は手桶と柄杓を持つ。
「さ、これを返して帰ろうよ」
「そうだね」
空になった手桶に柄杓を入れて、2,3歩進む。
しかし精市がついて来る気配が無い。
不思議に思ったは後ろを振り返る。
精市はじっと墓を見つめたまま動こうとしなかった。
そんな精市には声を掛ける。
「お兄ちゃん、早くー!」
「ああ、今行くよ」
の声に優しく答えると振り返り再び墓標を見つめる。
生けられた花が風に揺られてさわさわと動く。
「サヨナラ、父さん、母さん」
冷ややかに笑ったあと、その場を後にした。
赤い十字架
と一緒に居るための罪ならば俺は喜んで一生背負おう
2007.7.31